社会の一般的なレールでは生きられない人
おはようございます。間瀬邦生です。
今日の内容は、人の抱える闇といえばいいのか、人の薄汚い面といえばいいのか、そんなふうに映るかもしれません。
ある人の話がとても興味深かったので、以下その内容をお伝えします。
要は「変わっている人」と言われる人たちのことだ。
多くの人は高校、専門学校or大学と進学する。
学校に入ったあとに中退する人はごく僅か。「中退するような人」は一般的ではないのだ。
多くの人は就職して、途中で転職を経験したとしても、最終的には雇用された側として定年を迎える。
フリーランスの道を選んだり起業したりする人はごく僅か。一般的な人はそのリスクを取れない。リスクを取って「起業して雇用する側に立つ人」、「フリーランス」を選ぶ人は一般的ではないのだ。
多くの人は仕事や豊かさを求めて都会へ行く。
都会は人で溢れかえり、田舎は人が減り続ける。そんな社会の流れに逆行するかのように「田舎に移住してくるような人」は一般的ではないのだ。
今日はそんな「少数派」と呼ばれる人を、一般的なレールでは生きられない人としよう。
(上に挙げた人は、ほぼ私に当てはまる!)
上に挙げた少数派の人は、あるとき自分が少数派だと気づき、葛藤する。
周囲に自分が理解されない中、周囲に同化しようと苦労し、多数派にどのように同調したら良いか悩む。
これはとても深刻な悩みだ。自分の本心ではない行動をとらざるを得ないからだ。
そして、いつかはその悩みから抜け出す。
自分が一般的なレールを歩めないことを受け入れ、周囲とは違う自分を認めるのだ。
それは孤独を受け入れる覚悟ができたときでもある。
孤独を受け入れて生きていく覚悟ができたくらいだから、確固たる自信を持っている。
自信があるから変人呼ばわりされても、馬鹿と言われても、気にしない。自分の道を突き進む。
あまり公に言いたくはないが、少数派は多数派を見下している。
それは多数派が少数派を変人呼ばわりして見下しているのと同じ感情だ。自分を理解してくれない人間を尊敬したりはしない。
人は他人を自分より少し下に置きたくなるもので、まあそれと一緒だと思ってもらってもいい。
自分の存在を認めるために、自分を認めない人間は下に置くのだ。
今日ここに書いたことは、ほぼ自分に当てはまりました。
言われて初めて自覚したことも多くあり、自分を見透かされた瞬間でした。
そして最後に彼は私に言いました。
「間瀬くん、自分のゲスさを心配する必要はないよ。多くの多数派は、『人を見下すというキミの本心』に気付きやしないから。なぜなら多数派は、少数派のキミの価値観を知る由がないのだから。そして少数派は、そんなキミの見下す本心を知っていて(見透かして)付き合っている。キミの周りに残っている人はそういう人だけだから」
と。