毎朝ちょこっと見て、ちょこっとでも元気になって欲しい。そんな思いで始めました。

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指摘することを恐れている自分の弱さを克服する

 

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おはようございます。間瀬邦生です。

相手のためを思って『言わなくてもいいか』と思っていたことが、実は間違いだったと気付かされる出来事が立て続けに起きました。


商品の営業を受けたときの話です。

その商品とはオール電化への切り替えの話で、その営業さんが提供してくれた資料からは私が一番知りたいところが分かりませんでした。

『大雑把な試算だけでなく、詳細な試算が欲しい』

というのが不満で、会話のふしぶしに本心を織り交ぜてはいたのですが、はっきりとした言葉では伝えませんでした。

私の要求に応えてくれた場合に相手のセールスを断る自信がなかったからです。

一度お帰りいただいて、後日彼が訪れたとき、結局欲しかった資料の提供はありませんでした。

このときが私に与えられた最後のチャンスでした。

『実は詳細な試算が欲しかったのだよ。それがあれば考えが変わったかもしれない』

と、この一言を言うことが最後までできませんでした。

もし言えたなら相手の成長を促すことになっていたかもしれません。

言えなかったのは私の弱さでした。

『何だよ、こいつ。商品を買ってくれないくせに偉そうに』

そう相手に思われるのを恐れていたからです。


喫茶店で、間違った品物がきたときのことです。

店員の間違いを指摘する勇気のなかった私は、そのままいただきました。しかし実は隣のテーブルの品物でした。

私が少しだけ口をつけたその品物は下げられ、そののち本来頼んだ品物がやってきました。

下げられた商品はきっと捨てられたことでしょう。

私が即座に店員に間違いを伝えていれば捨てられることはなかったでしょう。

もったいないという気持ちと、間違いを指摘する勇気がなかった私の行動が、結果的にもったいないことを引き起こしてしまいました


そして三度目の正直。偶然はまたしても起きました。

飲食店で間違った品物がやってきたのです。

遂にはっきり言うことができました。

『この注文間違っていませんか。これが他の人が注文しているものなら、そちらにお出しして欲しいのですが、もし作り間違いであれば、私はこれで構わないので伝票だけ直してもらえますか?』

とても清々しい気持ちになれました。

あー、なんでこれだけのことが三十五年間できなかったのでしょうか。


間違いを指摘したり注意したりするというのは誰でも嫌なものです。でも、誰かがそれをしなければ改善はされません。

周りとの摩擦を避けようとする美点ともとれますが、多くの人は注意する勇気がないだけでしょう。

相手のためを思えばこそ、『おやっ、それはおかしい』と思ったことは指摘をしてあげるべきものでしょう。

もちろん、相手を不快な気持ちにさせない気遣いも忘れずに。

老若男女、どんな相手に対してでも正しく指摘できる人物になりたいものです。



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