無関心による無知
おはようございます。間瀬邦生です。
興味のないことは強制されてもたいして身につかないし、興味があることは誰に命令されるでもなく自ら勉強するものですよね。
地震に対する備えとか病気に対する対策とか、もっと関心を持つべきことがあると思えるのですが、『自分は大丈夫だろう』という危機感の薄さから、つい無関心のままです。
今日はその無関心にちょっと苦言を呈します。
五年前、東日本大震災で福島の原発事故が起きました。今でも人が立ち入ることのできない地域があります。これはとても重大な事故です。
でも東京の人にとって福島は他人事でした。
なにか大変なことが起きているかもしれないけど、結果的に東京は無事でした。色々騒がれてもやはり安全だと思っています。
福島産の野菜が食べられなければ、静岡産を食べればいいと思っています。
埼玉で原発の事故が起きたとしても、きっと東京には影響がないだろうと思っています。
もし隣町で起きても平気だと思っています。
隣の家で殺人事件が起きても、ああウチでなくて良かったと思うだけで、以前と変わらず無用心な生活を続けます。
こうして問題を問題と思わない、感覚が麻痺した状態に陥っています。
感覚が麻痺して問題意識がなくなり無関心状態になるのです。
地方の例を挙げますと、現在、山間地域ではイノシシの被害で悩まされています。
畑は荒らされ、作物は売り物になりません。収入が減り、仕事を求めて人は去り、過疎が進み、高齢化も進みます。
人が減るとイノシシはどんどん土地を侵食してきて、だんだんと町の方にまでやってきて、町の近くでもイノシシの被害が起こります。こうして地方は疲弊していきます。
でも都会の人はこの事実を知りません。
地方が日本の国土を維持して、災害や鳥獣から都会を守っているという事実を都会の人は知りません。
知らなければ興味も問題意識も生まれません。今はまだ知らないから問題意識がないだけということは、知ってくれさえすれば必ずそれを自分の問題として考えてくれるということでもあります。
地方としては、都会に興味を持ってもらうよう努力すべき。
都会としては、地方の重要性をもっと知るよう努力すべき。
さらに視野を広げると、日本は世界の問題を知るべき。
というように、お互いに興味を持てるようになること。お互いの距離を縮められること。
『無関心による無知』にならないような活動を、私は推進していきたいと思います。