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「田舎は弱者を見捨てない」を考察してみる

 

おはようございます。間瀬邦生です。

田舎の会話の中のさりげない一言から感じたことです。


「あそこのウチは要領悪いところがあるからね。昔はよく面倒みてあげたのよ」


私も、確かにあそこのウチの人は頭の回転が少々鈍いところがあると思っていました。

鈍いからといって、地域はそのウチを見捨てることはしません。周囲が全面的にサポートします。それが田舎というコミュニティです。

一方で都会では、近所付き合いをするものの、深入りしないことが多いでしょう。


一見、「田舎は弱者を見捨てない」ように見えるが…

田舎の様子を考察すると、あることが分かってきます。

それは、生活の在り方が「個人」を基本としているではなく「地域」を基本としていることです。

田舎は「地域」を基本に考えるので、地域内で困っている人がいれば我が事のように助けようとします。弱者も強者もひっくるめて「地域」という自分自身なのです。


とはいえ、利己的であったり地域コミュニティに属さない人は、誰も助けません。

決して無条件で弱者を見捨てないわけではないのです。「地域」一丸という価値観を持つ者同士が、弱者も強者も一心同体として暮らしているのです。


自分の生活が苦しいときに助けてもらって、他人の苦労を手助けしない人は、いずれ地域から見捨てられます。


新盆(あらぼん、にゅうぼん)

田舎には新盆(あらぼん、にゅうぼん)という習慣があります。

地域で亡くなった人がいたら、初めてのお盆に地域の人が集まるという行事で、特別な用事がない限り、参加しなければなりません。

今の場所に引っ越してきて半年しか経っていない私ですら参加を促されたほどですので、この行事はとても重要なようです。

煩わしさもありますが、こうして何度も顔を合わせることが、絆を強くしているのだと思いました。


田舎は助け合う「日本」が残っている場所

田舎にも貧困はあるかもしれません。でも、それで人が死亡することはないでしょう。生活苦での自殺や孤独死は少ないはずです。

「地域」に所属して「地域」を大切にして生活していれば、きっと誰かが面倒を見てくれます。


「あそこのウチは要領悪いところがあるからね。昔はよく面倒みてあげたのよ」という言葉には、かつての日本人の考え方が詰まっていると思いました。



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