無理が通るところを知っている人、通し方がうまい人
おはようございます。間瀬邦生です。
この人に頼まれたら嫌とは言えない人間になりたいのですが、間瀬から頼まれたら何も手伝ってやるもんかと多くの人に協力を得られない人望の薄い間瀬です。
中国に留学していたときの話です。
中国語の能力検定にHSKと呼ばれるものがあります。受験者数は多く、しかも私が留学していた当時の中国の試験のしくみは日本のように確立されていなく、試験の申し込みは指定された期日に、受験地に直接並ぶ必要がありました。しかも先着順で、規定の数に達するとその時点で締め切られてしまうというシビアな申し込みで、試験の前段階から戦いは始まっています。
一緒に留学していた人で、申し込みに間に合わなかった人がいました。
その人は、申し込みの窓口に行き、つたない中国語で係員をまくしたてていました。
周囲の日本人はその様子を見て、何をしているのかと思いました。
『申し込みに間に合わなかったのだから、いい加減諦めればいいのに』
という気持ちで、呆れていた人もいたでしょう。
しかし、そこで奇跡が起きます。
その人は受験の申し込みを終えて、意気揚々と戻ってきました。
『HSKには、規定の数より少し多く予備の枠が存在して、万が一の事態のときやコネで受験する場合に備えているんですよ。だから、ごり押しすれば、その枠に入れると思っていたのですが、そのとおりでした』
その人は、そう言っていました。
中国というお国柄や制度の曖昧さなどから、ごり押しが通りやすい国でもあります。その人は、そこを突いたようです。
非公式なルートからの申し込みには賛否両論でしたが、その人が無理を通せることを知っていたこと。私が無理と思っていたことが、実際は無理ではなかったこと。その事実は私の価値観を変えました。
『世の中の無理には、通るものがある』
その無理って誰が決めたということですよね。
本当に無理なことなのか、常識的・慣習的に無理だと思われているだけで、実は無理ではないということなのか。
規則ではダメとされていても、そもそも規則の存在自体が良いものなのかどうか。
無理は意外と通るもの。
通すにも人徳やテクニックがいるとは思いますが、その無理を通すところにこそ、ビジネスチャンスが存在することもあるのではないでしょうか。