貧困とテロ
おはようございます。間瀬邦生です。
もし、何もない土地に生まれ、働く場もなく、食料も得られなくなったとしたら、あなたは何を考えますか?
諦めて死を選びますか?
新しい土地を目指しますか?
それとも、誰かから奪いますか?
『誰かから奪う』という選択をした結果が、テロだと私は思っています。
テロリストはどうしてテロリストとしての道を進んだのでしょう。
どうして自分の命を犠牲にしてまで自爆テロをするのでしょう。
その理由は死ぬ以外に道が残されていないほどの「貧困」だからです。
豊かな国の多くの人はテロをしようとは思わないはずです。その一方で、貧しい国では紛争やテロが絶えない状況です。
その豊かな国と貧しい国の違いはなんでしょうか。
人の出来が違うのでしょうか。肌の色が違うのでしょうか。宗教が違うのでしょうか。
どれでもないですよね。
「豊かな国、貧しい国」と書いて字のごとく、「豊か」か「貧しい」かだけなのではないでしょうか。
私は豊かな国で暮らし、豊かな食事を得ていると思います。
その豊かさを支えているのは、貧しい人々だというのも分かっています。それにも関わらず彼らのために何もしていません。
テロのニュースが報道されるたびに、私自身の豊かさの下敷きになっている貧しさを、感じないわけにはいきません。
中国、春秋時代。斉の桓公を春秋五覇とならしめた宰相の管仲の書『管子』に、
「倉廩実つれば則ち礼節を知り、衣食足れば則ち栄辱を知る」
とあります。
日本では『衣食足りて礼節を知る』という言葉で知られていますが、衣服と食物は、生活をする上での根本であるから、それらが満たされることによって心にもゆとりができ、礼儀を知ることができるということです。
まずは最低限の生活が保障されてからです。それが保障されてはじめて次のことを考える余裕ができるということですね。