真意を知るところに説得の極意あり
おはようございます。間瀬邦生です。
今日は過去に出会った社長の話をします。
当時の私は、従業員四十人ほどの会社に所属していました。社長は創業者で、その権力は絶大でした。
開発した新商品のアンケートを取るという話になったときのことです。
アンケートの対象は社員・従業員(パート・アルバイト)・社員の家族知人。アンケートの回答にかかる時間は30分~1時間ほど。
業務時間外でのアンケート協力という形になり、
『アンケートに協力してもらった人に謝礼を出しましょう』
と私は社長に提案しました。しかし、その提案は、
『なんで、お礼をするの? 必要ないよ』
検討の余地もないくらい一蹴される結果になりました。
このバカ社長め…、と心の中で叫びつつ、私には反論する力もなくこの話は終わりました。
後日、友人にこの話に関して以下の見解をいただきました。
『その社長にとっては社員・従業員は家族と同じじゃないかな。社長は家族を養うという責任を自覚して懸命に給料を支払っている。家族のように扱っているからこそ、細かいことでいちいち謝礼はしないという考えじゃないかな』
目から鱗が落ちるとはまさにこのことで、自分の浅慮を恥じました。
社員は従業員に対する愛情がないから謝礼をしないのではなく、家族と同じくらいの愛情を注いでいるからこそ、謝礼という発想がなかっただけかもしれないのです。
あのとき社長に否定されることを想定できたとしたら。
『会社に対して色々な価値観で所属する人がいる中、社長が思っているようにアンケートくらい無料でやってやろうという意識ではない人もいます。そういう人の存在も考えると、一律図書カード500円くらい謝礼をした方が、その支出よりも大きいメリットがあるのではないでしょうか?』
このような言葉を用意できていたら、結果は違っていたかもしれません。
真意を知るところに説得の極意あり。
その主張の真意を知ること、そこを突き崩せば説得できる。
私は古代中国の遊説家の弁論術を熟知したつもりでいましたが、まだまだ遠く及ばなかったということが実証された出来事でした。
※アイキャッチ画像は「蘇秦」。本文トップ画像は「六国合従会合図」です。