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社長論(1)- 好悪を明らかにするな

 

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おはようございます。間瀬邦生です。

上に立つ立場の人がこの記事を読んで、明日からの一週間が違ったものになれば幸いです。


私が社会に出て十数年、下の立場として幾人の上司に出会ってきましたが、そこで感じた理想の上司・経営者像をお伝えします。


今回お伝えしたい点は『部下へ自分の好き嫌いを明らかにせず、平等であれ』ということです。

当たり前のことですね。

しかし、この当たり前のことが多くの人でできていません。


私は過去に非常に慕っていた上司がいました。

私はその上司を尊敬していましたし、大変お世話にもなっていました。

仲も良く、その個人的に良好な関係を築けた反面で、

『その上司は私だけをひいきしている』

という周囲の声も聞いたことがあります。

そのひいきは私にとっては光栄なことでしたが、上司にとっては損だったと思われます。

本来であればもっと多くの部下から慕われるべき上司であったからです。


周囲に注ぐ情に偏りがあれば、それだけ周囲から受けられる情にも偏りが生じてしまいます。

それが会社の経営を左右するような地位の情であれば、好かれたものは気を良くしてやる気になりますが、嫌われたものの会社への忠誠心は失われていくでしょう。

社長の好悪により派閥が出来てしまった場合にも、組織は崩壊の危機にあるといってよいでしょう。


全ての人を平等に愛する自信がないのであれば、企業のトップとは孤独であることを理解し、無理に親しもうと思わないことです。


春秋時代の名君、楚の荘王は即位当時、全く政治を見ず、日夜宴席を張り、諫言する者は全て誅殺すると宣言しました。即位三年目に伍挙(伍子胥の祖父)が、

「ある鳥が三年の間、全く飛ばず、全く鳴きませんでした。この鳥の名は何と言うのでしょうか?」

と言い、荘王は、

「その鳥は一旦飛び立てば天まで届き、一旦鳴けば、人を驚かせるだろう。お前の言いたい事は解っている」

と言いました。

荘王は三年の間に人物を見定めていました。媚び諂っていた家臣や私腹を肥やしていた家臣を数百人誅殺し、見所のある者を新たに数百人登用しました。


『好き嫌い』は部下のやる気をそぎます。

『好き嫌い』を知られてしまうと周りには媚び諂う部下ばかりが集まります。

この2つを理解していたので、荘王は中華の覇権を握ることができたのでしょう。

二千六百年の時を経て、現代の多くの会社で荘王のような社長が現れることを願ってやまない昨今です。


※余談ではありますが、この故事からじっと機会を待つ状態の事を『鳴かず飛ばず』と言うようになったそうです。



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