正しい主張で不幸を生むときはどうしたら良いだろう
おはようございます。間瀬邦生です。
AさんとBさんが話をしています。
客観的に見て、Aさんは正しいことを言っていて、それに対してBさんの理解力が足りなかったり的外れな返答をしたりしていると、どうも話がかみ合っていないし、まったく会話が進展しないような事態になります。
結果的に未熟なBさんはAさんにやりこめられているような光景になってしまい、Aさんは正しいことを言っているのに、Bさんをいじめているような印象を周りに与えてしまうことがあるんですよね。
いじめたいなんてこれっぽっちも思っていないし、相手の言っていることを理解したいと誰でも思っているし、それを周りの人だってかみ合ってない会話を聞きたいなんて思っていないし、それなのにみんなが不幸になってしまっています。
この不幸の発生の原因はどこにあって、どうすれば良かったかと考えてしまいます。
未熟な人を気遣って話さないところが悪いのでしょうか。
未熟なところが悪いのでしょうか
どっちかが優秀であればこういう問題は起きなかったわけだし、とはいっても人の能力には差があるものだし、うまく回らない原因がどっちの人にあったのかというと、どっちも悪くもあり悪くなくもあり、難しい問題です。
とまあ、どうすれば良かったのかまったく分かりません。
ただ、みんなが不幸になってまで、何が正しいとか決めることって、意味があるのかなって思うんですね。
大きなプロジェクトであったり何か重要なことであったり、どれだけ嫌な思いをしてでも正しい結論を選択しなければいけないときは別ですけども。
正しい主張の先に目指すものが幸せであるなら、幸せさえ得られれば正しい主張は捨ててもいいと思うわけでありまして、正しい主張が通ることよりも、多くの幸せを追求したいと思っている、すぐに主張を曲げる私でございます。