憎しみの行動学 – 憎しみを生む三段階
古今東西、ニュースで報道されるような大事件が起こったとき、会社においては足の引っ張り合いや派閥争いが起きるとき、歴史を振り返れば王朝が滅びるとき、そういった負の出来事には三つの段階があります。
第一段階.傲慢を感じる
第二段階.直接的被害を受ける
第三段階.生命を脅かされる
どこにでも鼻につく人っていますよね。人を見下す発言もします。
自分の権威や実力を認めさせようとする人に対して好意を抱くことはなく、周りの人間はなるべく関わらないように心がけるようになります。
この状況では大きな問題に発展することはありません。
これが憎しみの『発芽段階』です。
存在や行動が周りに害を及ぼすようになり、それまでは避けることのできた被害が自分に及ぶようになってきます。
会社の同僚に手柄を横取りされる、近隣住人とのトラブルが起きる、そういったものです。
勉強ができる、容姿が優れている、という人間は存在だけで周りから妬まれることもしばしばあり、それだけで周囲の人の利益を阻害してしまうことがあります。
当人には何の罪がなくても被害者の妬みが憎しみに成長することはあるわけで、加害者側になりそうな立場の人はよくよく注意することが必要でしょう。
第二段階になると多くの人間は、害を避けるために自衛行動を起こします。そこで当事者同士の直接対決となりますが、その影響は当事者と周囲の小さい範囲にとどまります。
これが憎しみの『成長段階』です。
歴史上、大衆が現体制に対して反乱を起こすときは、自分が出世したいとか金持ちになりたいとかそういうことがきっかけではなく、生きるためにやむなく決起します。つまり命に危険を感じなければ静かに人生をまっとうしていたはずです。
別の言い方をすると、命に危険がなければ命をかけるような行動を起こせる人は少ないということです。
日本で生活していれば生命の危険を感じることは少ないはずで、私自身が殺意を覚えるほどの憎しみを抱いた経験はありません。日本における生命の危険はというと、家庭内暴力やいじめといった状況でしょうか。
しかしいったん世界に目を向ければ、死と隣り合わせの生活を送っている人が多くいて、彼等は常に戦っています。自分の命がかかった状況での憎しみの力は強く、対象がこの世から消えるまで戦うような事態に陥ります。まさにテロリストはこの部類に入ります。
これが憎しみの『開花』です。
以上の三段階、いかがでしょうか。
私自身、憎しみを生まないために、気を付けなければならないことは多くあります。
この記事を書きながら、改めて自分の行動を見つめなおす必要性を感じました。