人生で一度は、いや一か月くらいは一次産業を経験するべきかもしれない
おはようございます。間瀬邦生です。
農業をしながら感じたことをお伝えします。
野菜の栽培は、種蒔きから収穫まで3か月くらいかかります。
食べるために栽培しているので、最終的には殺す行為なのですが、育てている3か月の間は「いずれは殺す」という冷酷な感情はまったくありません。むしろ「愛でる」という感情が生まれます。
畜産業を営む人からもよくこういう話を聞きます。飼っている家畜に対して「愛でる」という感情を抱くとのことです。
動物園の飼育員は動物たちを愛でます。家の庭の手入れでもそういった感情は抱きます。
プログラマーがパソコンに向かってアルファベットのコードを眺めていたり、証券マンが株価を眺めていたりでは、おそらくそういう感情はわきません。
「愛でる」という感情を抱いたときは、どこか穏やかです。
自分の中の優しさを掘り起こすきっかけは、生き物に関わることなのです。
一次産業に従事している人は、生き物に関わることで優しくなれ、殺すことの残酷さも常に感じながら生活しています。
兵役がある国のように、自身に「農役」を課してみます。
ずっと一次産業を営めということではなく、お試しで一次産業を経験する時間を作ってみます。
きっと自身の優しさを成長させ、同時に殺すという行為を今まで以上に考える時間となるのではないのでしょうか。
一次産業を経験してなくても十分優しいという人もいるのでしょうけども、経験したらもっと優しくなれます。
一日やそこらではそういう感情には気付きにくいものです。何度も何度も土に触れ、作物の成長を見ていくなかで、土の匂いや草の青臭さから次第に何かを感じることでしょう。
優しさを否定する人が社会にいるでしょうか。
みんなが少しずつ優しくなって、前より少しだけ殺すことの残酷さを知る。すると、社会はガラッと変わる気がします。