毎朝ちょこっと見て、ちょこっとでも元気になって欲しい。そんな思いで始めました。

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二拠点居住をして三か月経過後の感想2

 

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おはようございます。間瀬邦生です。

二拠点居住を始めて三か月が経過しました。


本日は田舎暮らしに関する『こんな生活もいいんじゃないか提言』をお伝えします。


一つ目はある論説をご紹介

『勝ち負けが少ない田舎、格差の少ない田舎』宮口侗廸教授(早稲田大学2008年)

市場原理が支配する都市では、勝者と敗者がはっきりと分かれ、必ず敗者が生まれる。一方で農村では勝ち組になれなくても、負けないでいることができる。市場原理に支配されない場が都市の周辺にあることが究極の格差社会にさせないためにいちばん必要なこと。限界集落などと言われるが、過疎地域は人口減少を悲観することなく、都市では実現できない価値ある少数社会をつくることを目標にすべきだ。


つい最近、育てているニワトリをおすそわけしたところ、お礼にお米を百キロもらったという話を聞きました。百キロって相当です…。

まさに物々交換の社会で、格差なく、みんなで助け合っていこうという意識が高いと感じました。


二つ目は私のハッとする体験をご紹介

時間を潰すためにコンビニに立ち寄ったときのことです。何の迷いもなく雑誌のコーナーへ足を運びました。そしていかがわしい雑誌に手を伸ばそうとした、そのとき、

『今、ここでこの雑誌を手に取ると、どうなる…?』

という考えが頭をよぎりました。

田舎では都会と違い、コンビニでいかがわしい雑誌を立ち読みするのに勇気がいります。購入するのであればさらに勇気がいります。

いつどこに噂が広まるか分からないという怖さです。この怖さは都会の比ではありませんでした。

近所と仲が良いということは、それだけ周りに見られているということでもあります。

そして、このときに思いました。


『周りの目を気にするという発想は、子どもの教育において非常に有益に働くのではないか』


都会の子どもは人様の迷惑になることをしたとき、周囲の人間(=他人)は無関心で注意をしないことも多く、子どもは注意されないと分かると同じことを繰り返します。

田舎だとそうはいきません。注意もされるし、悪い噂も広がりますし、親にもそういう話はすぐ伝わるものですから、親も子どもをしっかりと注意します。

こういった近所の目は、子どもが自分の行動に責任を持つことにつながり、子どもの成長という点で大きな役割を果たすと思うのです。


これまで私は子どもの成長の上で、田舎より都会の方が良いと思っていました。子どもの数も多く、周りには多くの友人がいる環境が大切だと思っていたからです。

しかし今回の一件で考えに変化が生まれました。

私の小学生時代、児童数は学年で100人、3クラスありました。確かに数は多く、100人いましたが、その中の何人と交流があったかといえば、自分のクラスの30人前後であり、さらに一緒に遊ぶような親しい間柄だと10人前後だったと思われます。その点を冷静に思い返すと、交流人数という面でも決して多くなかったと思われます。

子どもが成長するのに最低限必要なコミュニティの人数はいったいどれくらいなんだろう。

都会と田舎で子どもに与える影響の違いってなんだろう。

あらためて教育について考えるきっかけになりました。


以上のようなことを考えていたら、『田舎の生活もいいんじゃないか』という人が増えている理由が少しずつ分かってきた気がしました。



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