『里山資本主義』を読んで
地域の宝はないか? 知名度はなくとも都会で売れるような特産品はないか? 経済活動に関することにいつもギラギラと目を光らせている守銭奴な私です。
さて、地域おこしを志す人の必読本『里山資本主義』を読みました。人の幸せと地方経済の復興をキーワードに、新しい社会の形を提唱しています。
本日は『里山資本主義』の内容について、ご紹介をさせていただきます。
マネー資本主義とは何かというと、NHKの番組で使われていた造語で、正式な言葉ではないようです。お金を経済活動の中心に置き、お金を循環させることで経済の拡大をもたらし、豊かさを生むという理論とされています。
支出を増やしてでもそれを上回る売上を上げていくという右肩上がりの成長を目指す発想がその例です。
返済能力を考慮せずにローンを組むといった2007年のサブプライムローン住宅危機は記憶に新しいと思います。
その結果、世界に溢れたマネーは実体経済を突き破り、リーマンショックのような危機をもたらしました。
日本の借金も1000兆円を超えて、架空のお金で経済が回っているという現実があり、つい最近の出来事では、ギリシアという国家が財政破綻の危機に陥っていました。
そういう社会構造とは違う道を歩むにはどうしたら良いか。そこで生まれた考えが『里山資本主義』です。
地域から出ていくお金を減らし、地域の中でお金を循環させるというのが里山資本主義の基本理念です。
森林資源に恵まれた中国山地、岡山県真庭市の取り組みが紹介されていました。
・石油に代わる燃料、木質バイオマス発電
・石油に頼らない木材ストーブ、エコストーブ
それまで使われることのかった森林資源を燃料として使用しています。これにより外部から購入していたエネルギー費用の負担がなくなりました。それはそのまま地域の富となり、地域内で循環していきます。
続きまして、以下のグラフをご覧ください。
高知県の『県際収支』と呼ばれる資料です。商品やサービスを地域外に売って得た金額と、外から購入した金額の差を示した数字です。
産業別にどれだけのものを県外へ移輸出して、どれだけのものを県外から移輸入しているかを表しています。
グラフからは多くのものを移輸入していることが分かります。
つまりこれは地域の金の多くは、外から商品を買うために使われていることを表しています。表の一番上の農業がプラスでも、表の下の方にある飲食良品のマイナスがそれを上回っているのが見て取れます。食べ物だけで見ても経済的にはマイナス収支ということになります。
野菜を育てて100円で地域外に売れたとしても、その野菜を作るためのエネルギーを外部から購入してしまっては地域内に残る富は少なくなってしまいます。地域内で生み出したエネルギーを高熱費に充てることができれば、地域外に流出する金はなく、結果的に地域の富は蓄えられていきます。
赤字部門の産業を育ててマイナスを減らしていくことが里山資本主義で、これはマネー資本主義とは違い、見かけ上の経済活動は小さくなってしまうこともあります。
しかし地域の中でお金が回っていくことで豊かさをもたらします。
合言葉は、『打倒、化石燃料!』
国を挙げて林業に取り組んでいる超優良国家として紹介されています。
効率の良い燃焼の研究や、燃料である木材ペレットの生産効率の向上などで、灯油や石油を上回るコストパフォーマンスを実現したそうです。
その結果、林業が復活し、森に若者が戻ってきました。雇用と税収を増加させ、経済を住民の手に取り戻したといいます。
またCLT(クロス・ラミネイティッド・ティンバー)という『直角に張り合わせた板』の先進国家でもあります。この建築材料により木造の高層建築が可能になり、建築業界に革命を起こす期待が寄せられているとのことです。
マネー資本主義か里山資本主義のどちらかを選べ、という極論ではありません。二刀流でいいのです。
マネー資本主義には『規模の利益』というものがあり、需要が多い場合は、まとめて供給した方が一括大量生産により価格が安くなります。
例えば田舎の生活で必需品である車を地域内で製造するのは難しいでしょう。そういった商品はマネー資本主義で生産されているグローバル企業から買えばいいのです。安く買えた分、もう一台買えることにもなります。
でも食料に関しては、里山資本主義に則り、地産地消であったり自分で作ったりしてはどうですかというサブシステムの提唱をしています。
マネー資本主義と里山資本主義のいいとこ取りで良いのです。
災害に強い里山資本主義
マネー資本主義は天災に対して非常にもろい面を持っています。システム化された大量生産は、うまくいっているときは効率がいいですが、地震などで機能が麻痺したときには、まったく役に立たなくなります。
地震のときでも夜に明かりが灯っていたのは自家発電を持つ家だけでした。
繋がる社会、輝く高齢者
地域内で経済が回るということは、自然と地域コミュニティの復活に繋がります。収穫したものを周りに売る・配るといった行動が繋がりを生み、それは高齢者の孤立をなくすことにもなっているといいます。
体が健康であればいつまでも畑仕事はできますし、お年寄りは生き生きしてきます。健康に暮らせることで医療費の負担も減ります。
生き甲斐
都会から田舎に移住していった人が感じる豊かさの中に『生き甲斐』という言葉をよく聞きますが、それまで何百万人に一人だった自分が、数千人に一人の自分になった。それによって得られた生き甲斐はかけがえのないものだとも述べられていました。
若者に目を向けると、一次産業に対する関心が高まっています。
地方から都会へ向かうという流れに違和感を覚える若者も増えているといいます。
一昔前のITバブルが終わり、高度な情報技術社会になりました。多くの情報が容易に手に入る世の中になっています。情報という面での豊かさに対して飽和感が、人々に嫌気を感じさせているともいえるのでしょう。五感で感じてリアリティのある生活、人間の絆や人情を求める人が増えているのかもしれません。
お金に換金することは幻想
作ったものを市場で売らなければならないというのも幻想であると言っています。市場へ売ってもいいし、地域内で売ってもいいし、物々交換をしてもいい。市場に売ってお金に変えなければいけないという発想からの脱却も提唱されています。
私自身が節約家だからでしょうか。地域外への支出を減らすという里山資本主義の考え方には非常に共感を覚えました。
現代社会、都会での生活は昔に比べて貧しくなっているでしょう。
正規雇用は減り、非正規雇用が増加しています。
一人で稼げるお金はどんどん減っていて、家庭を持ち生活をしていく上で、共働きをしてやっと昔の一人前の給与だったりします。
都市への一極集中、経済発展による豊かさという幸せモデルからの転換期にきているのかもしれません。
転換期といいましても、経済発展を否定しているわけでもなく、都会での生活を否定しているわけでもありません。私自身はマネーが大好きで、都会も大好きです。ただ、現在の経済規模や人口の割合が『都会:地方=9:1』と仮定して、それが『8:2』に変わっていく将来を想像することができました。その増加分の1に今後の私自身の経済活動の目指す道があるように思えます。