御嶽山の噴火で見えた『礼』
おはようございます。間瀬邦生です。
先日の見たニュースの話題を一つご紹介します。
来月の9月27日で、多くの犠牲者を出した御嶽山の噴火の事故からちょうど一年になるそうです。
およそ一年が経ち、噴火が沈静化した今でも、御嶽山の周辺で生活している住民の方々は、深刻な問題を抱えているということでした。
それは噴火災害の問題ではなく、登山客の減少という経済的打撃にあります。
観光客は去年の7割減、ロープウェーの利用も、お土産の売上も激減。
地域経済は大打撃を受け、働いている住民の生活もままならない。
生活が成り立たないとはいえ、犠牲者の遺族の心境を考えると観光客の誘致活動をすることもできない。
住民の方々は板挟みの状況に大変悩まれていました。
相手のことを想い悩む姿。これこそ「礼」です。
いついかなるときでも他人への配慮を忘れなくありたいもの。
ニュースでは取り上げていなかったですが、犠牲になった方々の遺族の方との交流もあったかもしれません。
手紙を遺族の方に送り、誘致活動を再開する事情を説明したり、遺族の方全員のご家庭を訪問して事情をご理解をいただいたり。
私はそんな光景を想像しました。
山を愛する人の遺族です。必ずご理解いただけるはずです。
そして事故を乗り越えて新しい友好を深めていく。
現在、御嶽山周辺では8合目までは登れるそうで、旅行会社のツアーも組まれるようにもなってきたということです。
死者に対する礼。遺族に対する礼。
古代中国の礼に則れば、父が亡くなったとき、その子は足かけ三年(=二十五ヶ月)を喪に服していたといいます。礼は社会の秩序を保つ上で大切なことではないでしょうか。