若さへの敬意(2)- 時間という可能性
おはようございます。間瀬邦生です。
社会人ともなると、幅広い年齢の人との付き合いが増えてきますね。
年長者を尊重するもの。年下に対しては模範となること。
人との付き合い方はさまざま。今日は、自分より年下に対しての私の考えをご紹介したいと思います。
年上への敬意は言うまでもないですね。長年培ってきた経験というものは確かな実力と呼べるでしょう。
その一方で年下も侮れません。若者たちは『時間』という爆発力を備えているからです。
一年間海外に行った人間は、確実に日常会話レベル以上の語学力を身につけて帰ってきます。
三年間一つの業界に身を置いた人間は、一通りの仕事を身につけられます。
会社を興して五年間存続させられれば、それは社長として一目置かれる存在になっているはずです。
一年、三年、五年という『時間』は人を変えるのに十分な可能性があるのです。
残念なことですが年下への敬意が感じられない言動は散見されます。
それははたして礼儀を実現している社会なのでしょうか。
日本は『おもてなし』の心を世界に宣伝するのもよいですが、それ以外の心は世界に宣伝できるものですか?
どんな人にも後輩が存在するでしょう。
今の職場では後輩かもしれませんが、その後輩との実力がいずれ逆転するということを想像してやみません。
私の後輩への敬意とは、将来への末恐ろしさの裏返しなのかもしれませんね。
三国志演義で呂蒙が魯粛に向けて言った言葉を思い出します。
「士別れて三日なれば刮目して相待すべし」
日々鍛錬する人は三日も経つと見違える程成長しているものだと言う意味で、私自身そうありたいものです。