田舎ノスタルジー
新年明けましておめでとうございます。間瀬邦生です。
ノスタルジーを辞書で引くと、
「故郷・遠い昔などを懐かしく感じるさま」
とあります。
私はこのノスタルジーが『人との繋がり』を育てるための大きな鍵を握っていると感じています。
私は小学六年生になるまで、春夏冬の長期休暇になると母親の実家である宮城県に連れられ、自然豊かな田舎で過ごしていました。年間にすると二ヶ月近くは田舎に滞在していたことになります。
夏になると、採れたての野菜を大八車で売りに来る近所の農家のおばあちゃんがいました。そこで買ったとうもろこしを祖母がすぐにゆでてくれて縁側でのんびり食べたりするのです。
家から数分歩くだけでホタルを見ることができました。いとこと一緒に虫かごをホタルでいっぱいにした記憶があります。
毎朝、わくわくしながら鶏小屋に行きタマゴを取りに行きました。その鶏のエサのミミズやハコベを近くの川の土手に採りに行ったりもしました。
二十年以上経った今でも浮かんでくる思い出は枚挙にいとまがありません。
どれもこれも田舎の人にとっては日常のことでしたが、都会から来た私にとっては貴重な体験でした。
今は昔と比べて人間関係が希薄になってきていますね。それは主に都会のことを指していると思いますが、子育てでも介護でもその他のことでも、人と人との関係性が薄まっていると感じるのは確かです。
私は干渉を受けない希薄な関係に居心地の良さを感じる人間なのですが、その一方で人情の薄さに不満を感じることもあります。
その人情の薄さは『物質的に満たされている』ことが原因だと思います。
二十四時間空いているコンビニエンスストアに山と詰まれた食材を陳列しているスーパー。
これはどこから来たのだろう。これは誰が作ったのだろう。どんな苦労があるのだろう。
そんな感情が育つことなく、食べ物が手に入る社会です。
田んぼの水入れを隣町と相談しよう。畑を荒らす鳥獣から協力して野菜を守ろう。昔は生きるために相談し、人間関係を深める必要性がありました。
食べ物を手に入れることの大切さを体験しながら育つという過程が都会には存在しないのです。
生活が便利になることで、人は協力することを失ってしまったのですね。
私自身の幼少期の経験から、田舎は人が本来の優しさを取り戻せる場所なのではないかと思うのです。優しさというよりも、相手の立場を理解し相談していく中で協調精神を学ぶということでしょうか。それが結果的に優しさに繋がります。
都会で暮らしている人が、田舎で得た経験を『ノスタルジー』として感じられる状態が、都会と田舎のほど良い距離だと思うのです。
多くの人に『田舎ノスタルジー』を芽生えさせ根付かせること、それは確実に心の豊かさを育み、人との繋がりの大切さを学ぶことの手助けとなるでしょう。
その心の豊かさを育んでくれた田舎に対して、都会の人は親しみを持つことになるでしょう。
そうして都会と田舎の心の距離が縮まることは、自然の保全・保護にも繋がるでしょう。
今年は、そんな社会を目指す第一歩となるような記事も発信できる一年にしたいと思います。